flat7th

memo/20070426

created 2007-04-26 modified 2007-04-26 

勝手に直リン備考
Rules of Play - Games as the Play of Meaning(意味のあるプレイとしてのゲーム)

先生頑張ってますね。

全く脈絡はないのだけど、「遊びを科学する」というフレーズを思い出した。「科学する」って、サ変の使い方をわざと間違えて面白がってるのだと思うけど、はるか昔、某社の広告コピーにも使われてたような気がス。
あ、あれは空想を科学するだっけ?

学生のころは人生って何とか途方もないことを考えてネガティブスパイラルにはまっていたが、最近では(経済的な自立がきっかけか?)ネガ方向にはあまり行かなくなった。「人生って実は結構楽しいじゃん」

でもQOLとか、仕事と趣味の関係とか、楽しいって何とか、定期的にスパイラルにはまるのはずっと変わらないわけで。

目下、シビ子1500を安全に思い切り運転してみたい欲求が増幅中。
プレイドライブ誌を読んでみたり。そうすると時間配分やらコストやら現実的なことが気になりだし、結局「楽しいって何?」「遊ぶって何?」に行き着く。

ビートは「遅いけど楽しいクルマ」であるとよく言われる。自分はその言い方について、わかるような気が確かにするし、でも何もわかってないのかもという気もする。
「青春デンデケデケデケ」で、坊主の息子がキャンプでカレーを作るために親父の鍋を持ちだすにあたり、鍋をカレーに使うことに渋い顔をする親父に、鍋にとってもいい経験だ、ただ知らないというだけの無垢はなんら美徳ではない、とかなんとか説得するくだりがある。
ビートのことを考えるといつもそのフレーズを思い出す。