flat7th

memo/20080723

created 2008-07-23 modified 2008-07-23 

妻との会話、娘との会話の中で、あるいは情報を扱う仕事をこなす中で、
コミュニケーションを考察することをトンと忘れていた。

会話が成立している、とは何だっけ。
チューリングテスト、人工無能、サイバーパンクSF、...
「誰かと会話するときに小難しいことを考えなくてすむようになった」のは、自分があっちの世界からこっちの世界に来ることができたことのひとつの表象である気もするが、なんだか自分がバカになった気がする。

高度な情報機械に対する興味を失うのと同時に、(自動車などの)オールドファッションな機械に興味を持つようになったのはなぜだろう。

フライトシミュ、合気道、自動車の各趣味の共通点は、自分の体の方角が(物理法則に従い)刻々と変わることだ、などと自己分析していたが、もっと若いころに「音楽の意味」「人工生命」「伝達とは」などと考えていたことより、ずいぶんと原初的なものに興味の対象が移ったものだと思う。

もしかすると、少なくとも一人以上の他人と「無理せず何らかの意味や感情を交換できる」ことを発見したことは、自分にとってとても大きな転換点だったかもしれない。


脈絡がなく唐突だが。「若者の車離れ」という話題を記事にする文章表現者がたまにいる。彼らは「機械」の世代、あるいは、「(どちらも機械である)車趣味とPC趣味との距離」についてどう考えているだろう。

少なくとも、グラフィック系の車雑誌を編集しているひとならば「機械が持つエロティシズム」について一言あるはず。

西垣通先生の「デジタルナルシス」は、情報学のパイオニアたちの性的な倒錯趣味が珍しくないことを例示した後、現代の若者がコンピュータに(性的な意味も含めた)親密性を感じることを、ハチやアリの遺伝子距離になぞらえて考察している。

PC趣味から車趣味に移った私は、退化しているのだろうか。すでに老害が始まっているのだろうか。