memo/20110611
created 2011-06-11 modified 2011-06-11
「カンブリア宮殿」という番組で はなまる学習会 という、首都圏で人気の低学年向け学習塾について取り上げていた。とても興味深い内容だった。
私は、子供との接し方がいまひとつ分からない。自分の子供だけでなく、子供全般の話。私は、子供に対して、「は~いナントカちゃ~ん、」などと子供扱いする大人を好きになれない。自分が子供のとき、そうされることはとても嫌だった。そうかといって、大人と同じように、特に職場の部下と同じように厳しく接するのもおかしい。ほめる、励ます、しかる、ふれることはとても大事だと思う。
はなまる学習会の高濱正伸さんは、「子供との接し方」がとても上手であるように見えた。その点だけでも、尊敬できる方だと思った。馴れ合うのではなく、甘やかすのではなく、突き放すのでも当然なく、接して、ほめる、励ます。うーん。自分が難しく考えすぎなのかな。いや、それを自然に高レベルでできるという、稀有な力がある方なんじゃないかと思う。
その、子供たちと上手に接する力を持っていて、かつ、親たちや教育界に対してとても真摯に分析しておられるように感じた。
はなまる学習会の目標について、分かりやすい言葉で表現すると「メシが食える大人に育てる」ことだそうだ。世の中は変わっていく。社会では初めて見る問題ばかり。そこで、「おっと、これは初めて見る問題だぞ、まてまて… そうだ!こうすればいい!」と考えられるようになって欲しいと。そのためには、【考えて「できた!」という快感】を教えてあげることだと。
とても興味深い取り組みをされていると思う。
さて、自分が今「メシが食える大人」であるかどうかは…この1年の状況を考えるとちょっと自信喪失してしまうが、自分でメシを食おうとしていることに関しては、独立以来10年食えていたこともあり、そのとおりだ、と言える。また、ソフトウェアのクラス設計というか、コンポーネントの構成設計を「できた!」と思う瞬間の快感は、言われてみればかなり強い動機づけを与えるものだと思う。
でも、いろんな意味で「食っていける、大人な」プログラマになるための方法は、「できた!」の快感だけではないような気がする。
自分の場合、技術に関しては「幼いころから接した絶対時間」貯金によって、コンピュータに触れること自体が次の技術を勉強する動機にもなる、というサイクルができた。なので、技術に関しては、少なくとも一人前になるまで(=1年のプロジェクトで5キロ10キロを分担できるようになるまで)は、そこそこ順調だった。
「食える」状態を維持するために難しかったのはむしろ、技術ではなかったように思う。これは、ある社長さんから指摘されたことではっきり認識したことなんだけども。上に立っているひとのその立場を尊重するとか、分をわきまえるとか、政治的に落としどころを用意した上でハナシをするとか、そういう「泥臭い」知識を身につけることが必要だったように思う。そして、今もそれで苦しんでいる。
まだ出口は見えないけど、出口のありそうな向きは考えていて、少しずつ進んではいますよ。メシが食える大人であるために。