memo/20120212
created 2012-02-12 modified 2012-02-12
突然で、全く脈絡ないですが、
私は1991年から1994年に京都産業大学に在籍したわけですが、勝矢 淳雄 先生(→このかた)の確率・統計の講義、私はとっても好きでした。先生の話し方も飄々として面白かった。
そして、教科書として使用していた小針先生の「確率・統計入門」、今でも大事に取ってあります。
勝矢先生の、あの飄々とした講義の仕方、もしかして小針先生もこんな話し方をされていたのでは?と、勝手にイメージを重ねていました。
しかし
最近ちょっと確率的な話を考えようとしたのですが、
あれ?
確率変数ってマイナス無限大からプラス無限大まで積分して1になればいいんだったよね?
と、すでにそこからあいまいになり、先の教科書を開いてみたものの、先頭数ページの「先輩がアハハと」かます部分を過ぎると、
汗がでるほど全くわからない。
やばいです。超ヤバイ。脳を使わないとどんどんバカになります。
よーっく覚えているのが、冒頭のアハハの部分と、「チェビチェフの不等式」という言葉が出てきたこと。しかしチェビチェフの不等式を今Wikipediaで見ても、あれ?こんな難しい式だった?としか...
まぁ、何がいいたかったかというと、私は勝矢先生のファンでしたよ、ということです。
竹内富士雄先生や八杉満利子先生、黒田先生ももちろんですが、あともちろん工学部の謝先生はオブジェクト指向で非常に影響を受けたし永遠の師匠です。
それから、もう京都産業にはおられないと思いますが、"「2+2」を5にする発想 " を翻訳された 上出 先生ももちろん尊敬しています。千葉県の高校生だった私が、再読・三読した本でした。直接講義を受けたこともあったのですが、成績が悪いこともあり、照れがあって、本にサインもらうことが出来ませんでした。
千葉から京都に出た理由
- 伝統のあるコンピュータの学科が、工学部や理工学部でなく理学部にある大学であること
- 受験科目に社会科がないこと
- ジョブズの伝記本を読んで、大学に行くなら実家から遠くないと意味が無いと思っていた
- 自分の成績で確実に入れる(絶対浪人しない)
- 学園祭の見学に行ったとき、バスの中で京都弁で日常会話する女の子に萌えた
- 上出先生が翻訳された本 "「2+2」を5にする発想" に、高校3年のとき非常に影響を受けた
話を戻しますと…生涯勉強、です。頑張ります。