memo/20120815
created 2012-08-15 modified 2012-08-16
英語より日本語の方が主語の省略に寛容と思う。
そこから連想。
ある意見があったとして、「誰が」そう主張しているのか、に対する厳しさが、日本人は薄くて、日本人は正しい意見は誰が言っても正しいと思ってるかも。
比較して西欧人は、意見には必ず「主語」が必要で、誰がその意見を言ってるかで意味なんか全く違うと思ってるかも。
つまりこうかも? 日本人の脳内 主張者 ◇-- 意見 西欧人の脳内 主張者 ◆-- 意見
別の話。
哲学っぽい話をするとき、説得力を増そうとしてたとえ話をすることはよくある。
しかし自分の経験が浅いことをたとえ話にすると、却って嘘っぽくなり、説教くさくなるのだなぁ。
気をつけよう。