flat7th

memo/20130525

created 2013-05-25 modified 2013-05-25 

プラスにせよマイナスにせよ、自分を評価する言葉を頂くと、褒め殺しとか、皮肉が混じっているように感じてしまうのは、自分の性格がひねくれているからだろうか。もしくは、自分の実体が「それほど大したものじゃない」事を自分は知っているから、だから身の置き場がなくなるのだろうか。


私は、自分のWebサイトに対して、誰かからお金をもらって書いてる訳じゃない。ただ、今は、ソフトウェアの商売をやってるから、その宣伝をしたい、という意図は、確実にある。自分自身の広告媒体だと思って書いている。だから、音楽関係の知人に配慮して「ソフトウェアの事を書かない」だの、「別にする」、なんてのは本末転倒だ。残念ながら、音楽関係の知人には、ソフトウェア関係のお客様ほど、私にお金を払っては頂けていない。お金でない幸せを含めると微妙だが、事実は事実。

コンピュータの知識も、音楽の知識も、それらに対する、アスペルガー症候群的な奇妙で微細なこだわり/好き嫌いも、みんな自分の一部です。これが私です。専門知識をひけらかして自慢する意図があるわけでも、実物以上に自分を大きく見せたいわけでも、ありません。大体、ソフトウェアの世界で自分がどれだけちっぽけな存在か、痛いほど知っている。

この、自分の中にある訳の分からない怪物をどうにか制御して、何とか社会でお金を頂いて生きて行きたいのであって。自分のWebサイトで自分の考えをどう書こうが、それが他人を傷つけるものでない限りは、他人から否定されても、へこむべきじゃないと思う。自分は自分だと胸を張って生きたい。他の誰かが、その人自身の有りようを思って勝手にへこむのは、自分にはどうしようもない。自分だってそりゃ同じで、自分が勝手にへこむのは他人のせいじゃない。

だけど、何だか分からないプレッシャーに負けてつぶされそうだ。生きることは、この潰されそうなプレッシャーに耐えて前に進もうとすること、かもしれない。

* 日々のメモ