flat7th

memo/20131121

created 2013-11-21 modified 2013-11-24 

設計書・ドキュメントは、書きすぎても問題になるし、書かなすぎても問題になる。

ソースと同じ内容のフローチャートを書くのはさすがにやり過ぎ。二重管理になって食い違いが出て、結局ソースを見ることになるので意味がない。一方で、どうせソースしか残らないからとドキュメントを一切書かないというのはそれもやり過ぎ。
例えば、犬小屋を作るのに壮大・長大な、時代背景の分析から始まる設計書を書く必要はない。一方で、地図に残るような、巨大な橋、例えば横浜ベイブリッジを作るのに設計書が一切ないなんて、ありえない。どこの未開国だって話になる。
ソフトウェアを作る案件にもいろんな案件があるけど、複数のメンバーで対処する案件は、犬小屋よりは大きくて、横浜ベイブリッジよりは小さい。その時、どんなドキュメントを書くのが良いかは、違う。

要は、人間同士のコミュニケーションのために必要なドキュメントは何か、ということを、その案件ごとに自分の頭を使って考える必要があって、適切なレベルの設計書を書いて打ち合わせをするのが、正解なのだろう。
そんなことは当たり前、と思うのだが…人間は悲しいもので、どういうわけか、思考停止してしまう事があるのだ。
原因はなんだろう。酷い経験をすると、それがトラウマになって反対側の振り子に振れてしまうのかな。悲しいけど。

「自分の頭を使って考える」という作業は、実は結構面倒臭い。

プロジェクトが走り始めたら、お定まりの手順で進めたい、と思ってしまうのは、ごく当たり前の事だと思う。
でも、仕事って頭使うものだよね。
悩んで考えて、アイデアひねって。

先日「ガイアの夜明け」で、女性技術者/女性活用の回があった。その回の本題は、建築現場等、男性ばかりと考えられる仕事場で女性が活躍している、という話だったのだけど、男か女か、という事とは別のレベルで、現場の監督(=女性の方)が頭を使って問題を解決している、という話が取り上げられていて、すごく関心した。

ある作業で、2140mmだったかな、特定の深さの穴をいくつも掘る必要があって、毎回メジャーで測って面倒そうだった。そこで、専用の道具を作り、作業を効率化した。道具というのは、木材を2本組み合わせてT字型にしただけ。ただしその「特定の長さ」なので、毎回メジャーで測る必要がなくなる。

また別の作業で、掘った穴に脱落しないように柵を立てておく必要があり、足場に使うパイプを使って、穴のまわりに四角形に柵を立てていた。

+ー+  +ー+  +ー+ 
|○|  |○|  |○|
+ー+  +ー+  +ー+ 
ところが、柵と柵の間隔が狭いので、間を通るときに作業着が引っかかる。そこで
 /\   ____   /\
/○\  \○/  /○\
----   \/  -----
柵を組み替えて三角にした。こうすることで柵と柵の間隔が広くなって、通りやすくなり、作業効率が上がった。

と。

監督はこういうことに、手間とか頭とか使わないとね、という話。作業員と一緒に切ったり貼ったりするだけが、仕事じゃない、と。

自分の仕事をかえりみて、すごく反省したことでした。
頭使って働こう。

* 日々のメモ