memo/20220724
created 2000-07-24 modified 2022-07-24
あるエラーコードを調べていた。ひどい訳文のマニュアルに行き当たり、難儀して解釈する。
本当は著者は何を言いたかったのか、より正確な意味を理解したいと思って原文のリンクを探すが見当たらない。しかし、ふと気づく。
機械翻訳で品質が悪かろうが、ドキュメントが存在しているだけマシだ。
それに、原文でただ置いてあっても最後まで読まなかったかもしれない。
かかり受けのおかしなひどい文書でも、母語で存在していたからこそ最後まで読んだのだろう。
そしてまた、この世界に存在するあらゆる"文"とは、そのようなものなのだろう、などと気づく。
つまり、品質なんてまちまちだ。誰が受け取るのかもわからないメッセージを、宇宙に向けて無為に発射している。
今書いているこれだって、なんの意味もない。アデノシン3リン酸を無為に消耗して、駄文が出来上がるだけだ。
サイバー空間の片隅に置かれた日本語の駄文なんて、誰も読まない。
それなのに、「受け取るかもしれない誰か」に思いやりを持って、文を整えたり推敲したりする。
起承転結を考えて見直したりする。
整理しないよりはマシかもしれない、と期待をして。
SSW的な活動を行って歌詞を書いて歌い、聞いて頂いたりする。何の意味があるか分からない。
ほとんど誰も聞いてはくれないだろうと思いながら書く。
それでも、「耳を傾けてくれるかもしれない誰か」のために、言葉を選び、意味を隠し、リズムを整える。
そんなことをしてもほとんど誰も聞いてくれないだろうと思いながら、やる。
ひどい歌詞であっても、ひどい歌であっても、何もないよりはマシなこともあるのかな、などと
淡い期待をして。
【* 日々のメモ】