flat7th

memo/20220929

created 2022-09-29 modified 2023-05-29 

15年位前、ワタシが調子こいてビートとEKシビックに乗っていた頃の話です。

もてぎ(その当時はツインリンクもてぎ)に家族で遊びに行き、間伐材?の木材加工ワークショップでカブトムシ風のミニカーを作ったり、遊園地で遊んだりして、楽しみました。で夜は敷地内のホテルに泊まったんですよ。

普通のホテルには、机の中に「聖書」が入っていたりするのだが、なぜかそのホテルにはホンダの創立期を描いたマンガが備えてあった。「聖書ってかwww」とワロタが、読み始めると面白い。




その中で、本田宗一郎 氏の「先見の明」に陰りが見えてくる時代がありました。いわくWW2でドイツのジープは砂漠でも走ったとかなんとか、宗一郎氏が「空冷」にこだわっていて、F1のエンジンも空冷で作れと指示する。一方、久米さんなど現場の技術者は、もう空冷の時代じゃないと思ってる。

で、大事故が起きて、ドライバーのジョー・シュレッサーさんが空冷F1車と共に焼けてしまい、亡くなってしまった。

久米さんは責任に悩み、仕事を休んで四国のお遍路周りをしたそうで。辞表も出したが遺留されたとか。結果としては藤沢さんが宗一郎氏に、あなたは技術者なのか経営者なのか選ぶ時期ではと進言して、空冷エンジンの時代が終わった。

て感じで、久米さんは宗一郎氏の技術勘と、最新技術動向の食い違いに戦った世代らしいです。


結局、ワタシはその「マンガ」を買って帰りました。その内容は、一部紙芝居動画になってて、Youtubeで公開されてますが、久米さんの下りは入っていないみたいですね。
(久米さん=後にホンダ3代目社長となられた 久米是志さんです)

久米 元社長の訃報に接し
久米さん御本人の事は全く存じ上げないのですが、ホンダ資料・史料を読んで、現場で悩む技術者として勝手に親しみを感じていました。
もう宗一郎さん、藤沢さんには再会できたでしょうか。
謹んでご冥福をお祈り致します。


* 日々のメモ