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memo/20241213

created 2024-12-13 modified 2024-12-20 

気づき 2024 12月

なんだかここ2年くらい、ぼんやりと悩んでいることがあって。

ある職場で、オラついた人というか、パワハラ気質の人がいて。
その人から、私でない別の人に、ひどいパワハラがあって、それにどう対処すべきなのか悩んでいた。
とある先輩に相談したら、その件は大人としては当人同士にまかせて、自分のシゴトに集中するべきと言われた。
君は精神的に幼いなとまで言われた。

別の現場で「あまり強く出ないようにしよう」としていたら、この現場では
自分も、とあるオラついた人にプレッシャーを受けるようになってしまった。
いろいろと周りと相談し、自分はなんとかその人から脱したけど、自分の後で、別の人が2名ほど、その人にやっつけられて「休職」と「退職」となったらしい。

これらの出来事が、なんだか細胞分裂のバグでがん細胞が増殖するように、自分の中でモヤモヤしていた。

自分は自分のシゴトをすることを一番の目的に置き、他人がどうするかは他人に任せるというのは、
職業でイライラを防ぐコツとしていろんな人から聞いた。
曰く、自分が制御できるとか自分が決定権限を持っているかどうか、の軸を考えて、
自分が制御できないことは悩まないようにせよ、という話。

でも、これ(自分は自分のシゴトをする)をずーっと自分自身に唱えていたら、
「じゃぁ私が何を頑張ろうと、社会を良くしようと考えたって無駄じゃん」
となって、ある種の無気力病みたいになってしまうんですよ。

本当にずーっとモヤモヤしていたんだけど、気づいた。

やはり倫理は大事。でも、この宇宙には適者生存の原則があるのでそれも大事。

今日ふと、少し気づきを得たのでメモしたい。





職業、ビジネス上で「理念」や「使命」を定義してその実現に向けて進むのは大事。
で、その使命、ミッションの大前提として重要なことがあるけど、
それをいちいち言ってたらスペースが足りないから書かない、という2つの原則がある。

■(原則1)私は、高い倫理観に基づいて行動しなければならない。
眼の前の3人を幸せにできない者は、遠い顧客の幸せを追求する資格を持たない。

高い倫理観に基づく行動、が成立していないと、
掲げたビジネスミッションはすべて空虚で意味を失う。

たかだか、3人の家族を幸せにできないようでは、あるいは
たかだか、10人だか20人だかのグループ内で人間関係がギスギスしているのを解決できないようでは、
そんな職業チームは「世の中に貢献すること」なんてできるわけがない。

職場内でパワハラやらいじめがあるなら、なになにで世の中に貢献するとか偉そうなことを言うより、目の前の人間関係を解決しろ、と。

■(原則2)この宇宙には適者生存の原則があり、淘汰圧がある。
ある場面で、優れていないものは、その場から去り違う場所で生きる必要がある。

ある組織で、その場所で生きるには優れていないものを、
ただ かわいそうだから という理由で放置してはいけない。
放置すると、その他の優れた者たちの活力を削ぐ。
それを排除する力が働かないという理不尽・矛盾を、
現場のメンバー同士で解決しようとして、「よけいないじめ」が生じる。

職場での無駄ないじめをなくすために、経営者は、
優れたものを優遇し、優れていないものには低い待遇を与え、
待遇の違いが全メンバーに明白である状態を作る必要がある。
経営者は、優れたものには、「まだ習熟していないから下手なものたちに 指導的に振る舞う役割」を与え、それに適切に報酬を与える。

経営者は、その場で全く優れた行動をとれないものに対しては、
きちんとその場から去らせて、
そのものが より適切である場所を見つけてあげなければならない。
そして、いじめが発生しているならば、当事者同士を離す。
違う場所で生きればいじめをする必要がない。

原則1と原則2は互いにトートロジーのような関係になっていて、
一方がないがしろにされるともう一方が空虚になる。


でこの原則2つは、
バランスが難しいよね、とかじゃなくて、両方満たさないとダメ。

* 日々のメモ