memo/20090614
created 2009-06-14 modified 2009-08-29
高校のクラブの同期会でした。楽しかったです。
昨日、酔ってくだを巻いていた話の「元ねた」が何だったか、
帰り道でずーっと気になっていました。
これでした。
memo/20060327
改めて読み返すと、自分の読みたいようにねじ曲げて解釈していたように思います。
昨日も上記に尾ひれをつけてしゃべっていたなと。
うーむ。
- 生まれたとき、一人称と二人称の区別はついていない。「ねぇボク」と話しかけるのはそのため
- 幼児のとき、子供の社会には親しかいない。行動規範=親
- 幼稚園、小学校に行くと、友達や教諭が自分の社会に加わる。
- 中学生くらいになると、行動規範を歌手や、有名人に求める。
- 高校生、大学生くらいになると、歴史上の人物や哲学者に求める。
- どんどん規範とする対象が遠くなって、やがて無限遠に…
- 自分の考えは自分でまとめるしかないのだ、と気づく。=孤独。
- 孤独の時間をどれだけ真摯にすごしたかで、その後5年くらいが決まる。
なんだろう、大学の時に特別講習で聞いた「ソシオン理論」のことが脳裏をかすめるのだが…わかりません。
いろんな偉い人が言った言葉を、自分の読みたいようにねじ曲げて解釈して、酔っ払って尾ひれつけてウダウダと語る。オッサンになったなぁ。
それでもまぁいいやと思う自分もいます。
コトバにノイズが乗るのは必然だし。情報理論「送信者->符号化->媒体(ノイズが乗る)->復号->受信者」送信者の言いたかったことと受信者の解釈が同一である保障は何もない。
オッサンの下手語りが原因で、そこで他人に到達しなかったのなら、その子(その「ミーム」)の生命力が弱かったのだ、と思うことにしよう。
悲しいけど、自分ではどうにもできないこともあるお。